114.私は社会的弱者です

足首を損傷し、身動きが取れず、九割ほどの仕事が止まっていた、わず。
「仕方がないからデスクワークを片付けるか……」と気紛れを起こすが、
鎮痛剤が効かず、思考すらままならないので、素直に病床に臥していた。

いや、暇……。

正確には疼痛に悶えることに忙しかったのだが、
間隙を縫うように取り留めのない思考が溢れる。

俺って社会的弱者だよな、と。

「先生が弱者だったら、私はどうなるんですか?
――あァ、いつものタイトルギミックでしたか」

否、タイトルギミックでも何でもなく、ある一面から見ればそうなのだ。

さしもの私も、小学生の頃は社会的強者だった。

在りし日の私は、不覚にも側溝に足を取られ、痛みで路傍に蹲っていた。
そしたらすぐに、通りすがりの見知らぬ老婆が、心配の声を掛けてきた。
しかも「大丈夫ですから」と言っても、いつまでも張り付いて離れない。

もしこれがいまの私だったら――どうなるのか?

ハンドレットパーセントの確率で見知らぬ振りをされるに決まっている!
それどころか不審人物として警察に通報されることすらあり得るだろう。
我々は既に、学童のように社会的に庇護されるべき対象でないばかりか、
却って社会的に危険視される存在なのであって、
そこで向けられる感情は、同情や憐憫ではなく警戒心や嫌悪なのである。

オッサンのお寒い冗談は「私は危険ではないですよ」というシグナルだ。
若者もそのことが分かれば生暖かい気持ちでオッサンに接せられるはず。

それはさておき――ここから私が考える社会的強者の定義が見えてくる。
要は、社会から忌避されず、寧ろ社会から助けられる存在のことを指す。

漫画『魔女と傭兵』に以下のような会話がある。

A「恐らく狙いは子供そのものだ。つまり人身売買」
B「そんな……いやしかし……」
C「私たちを狙うのはリスクが大きすぎない?」

A「お前たちは弱いからな」

B「はっはっはっ、いや面白いことをおっしゃる。
ジィンスゥ・ヤは達人を多く有しています。
マフィアでもおいそれと手を出せない。
弱い、などと言われたのは初めてかもしれません。
……確かにあなたは強い。
だけど私たちを弱者と侮れるほどの力量差かな?」

A「現にこうして自分たちで何とかできずに
余所を頼っているだろう。
本来こんなに沢山の行方不明者が出れば、
官兵・国が黙っていない」

B「それは……」

A「要するに何をしても構わない相手だと思われているわけだ。
腕は立つが多少見た目や生まれが違う程度で迫害され、
危険視されるお前たちを弱者と呼ばずしてなんと呼ぶ?」

本記事はここから着想を得たわけではないのだが、
作者の方と私は同じ問題意識を共有していそうだ。

というわけで私という存在をデモグラフィックデータで見てみよう。
「会社組織に属さない三十代半ばの未婚男性が単身生活をしている」
もうね……社会という指標から見れば弱者以外の何物でもない(爆)

私は某所で「地縁的・血縁的共同体を回復させよ」という旨の話をしたが、
それは「社会的強度を高めよ」という意味で再解釈することも可能である。

そこにコストを払いたくない人たちが東京を寄る辺にしているのだろうし、
若い頃の私は「そんなの俺には問題ですらないね」と一顧だにしなかった。
だが、いまになってコストの問題として処理して良かったのかと思うのだ。

私にとって「孤独」は常にソリチュードであり、ロンリネスではなかった。
また地縁的・血縁的共同体という最低限のセーフティーネットがなくとも、
何ら不安にならないメンタリティと現実的な生きる強さを兼ね備えていた。

それでいて他者に対する想像力も、社会に対するコミットも失わなかった。

本来、その境地に至って初めて「社会的弱者でいる」という選択が取れる。

自分は選ばれた人間だと思い上がっているヤツも九分九厘引っ掛かるはず。
「お前シンプルに弱者なのに、なんで数少ない取柄の繋がりを自ら断つの?」
なんて、下界を観測した時にコッソリ思うことも実は少なくないのだった。

しかし、完全に外れ値の私ですら問題意識を抱くようになったのは何故か?
それは私が「オッサンなのに○○」という社会的弱者に身を窶したからだ。

単純に年を食った(笑)

会社組織に属さない二十代半ばの未婚男性による単身生活は許容されるし、
なんなら「若手IT起業家ってヤツ?」とキラキラした目で見られもするが、
会社組織に属さない三十代半ばの未婚男性による単身生活は不気味なのだ。

「悲観的過ぎるのでは……?」と思った方は他者への想像力が足りないな!
将来的に社会から危険視される可能性が高いので注意した方がいいだろう。
なんて社会から危険視されるオッサンが言っても説得力はないのだが(爆)

これをナラティブを構築することで回避することには当然通じているがね。
他者がナラティブを構築する隙を潰しておくことも自己防衛として重要だ。
「火のない所に煙は立たぬ」という前時代的かつ愚劣なことわざがあるが、
SNS上には“火のないところに放火して騒ぎ立てる人間”も多く観測される。

小説『ゴールデンスランバー』を読んだことがある人は馴染み深いはずだ。
オズワルドにされるぞ――それっぽい物語を描ける要素は事前に消したい。
これは少なくとも、浅はかなコスト意識や若気の至りより優先されるはず。

いつもとは異なる強者論をお楽しみいただけたのならば幸甚の至りである。

みんなの音楽

本日の一曲は、乃木坂46で『他の星から』

私は基本的にアイドルには興味がないのだが、
バナナマンが番組のMCをやっていた都合で、
乃木坂46に限ってはかなり詳しい方だと思う。

その乃木坂46の中で最も好きな曲がこれだ。
……なんか過去の講座で紹介した気もするが。

いやまあ、そんなわけでまた近いうちに記事を更新します!

PS:「お前、世間の目を気にしてんのか?」と俺の中の尖った部分が嘯く。
「敢えて尖る必要もないじゃないか」と窘めてみたものの、一理あるか?
バックボーンを持った奇人として街に根差すことも出来るかもしれない。
しかし、思えば街を牛耳るみたいなことは祖父がやっていたことだから、
それは孫の義務として越えなければならないラインな気がしてきた(笑)
止揚させられそうなので、また考えを深めた上で論として提示したいね。

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